本の中身より先に読まれるのは、商品ページの文章だ。
本を作るとき、力の配分は自然に決まってくる。中身をどう書くかに大半を使い、表紙にいくらか使い、最後に説明文を数行入れて終わる。中身がいちばん大事だという判断は正しいので、この配分に疑問を持たない。専門職ほど、この配分になりやすい。内容の正確さで評価されてきたので、伝え方より中身に時間を使うのが習慣になっている。宣伝めいた文章に苦手意識を持っている人も多い。
ところが読者の側は、逆の順番で出会う。まず表紙を見て、次に説明文を読み、そこで読むかどうかを決める。中身に到達するのは、その判断を通過した人だけだ。いちばん手をかけた部分が、いちばん後ろに置かれている。士業やコンサルの本では、この差がさらに効く。読者は著者を知らないことが多いので、説明文が最初の面接のような役割を持つ。何を専門にしていて、誰の役に立つのかを、そこで伝えることになる。
にもかかわらず、この文章は最後に書かれる。中身が決まらないと説明できないので、工程としては終盤に置くしかない。本文を仕上げた疲れの中で、いちばん判断力が要る文章を書くことになる。順番を変えられればいいが、中身が決まらないと書けないので動かせない。構造として、手を抜きやすい位置に置かれた工程になっている。
書き慣れていないのも難しさの一因だ。専門的な内容を正確に書くのは日常の仕事だが、まだ何も知らない人に短く伝えるのは別の技能になる。正確に書こうとすると長くなり、短くすると誤解される。留保をつけるほど中身は正確になるが、読む気は削がれる。この綱引きに慣れていない。
業種の事情も重なる。コンサルティングの仕事では、守秘義務があって事例をそのまま話せない、という指摘がある。説明文でいちばん効くはずの具体例が、そもそも書けない。抽象的な説明だけが残り、結局なにをしている人なのかが伝わらない。
自分の本を外から見られないという問題もある。どこが読みどころかは、書いた本人にはいちばん分かりにくい。何度も読み返しているので、どの説明が当たり前でどれが親切なのかの区別がつかなくなっている。当たり前だと思って省いた部分が、読者にとっては最初に知りたい情報だったりする。
入口の言葉も、同じところでつまずく。事務所で使ってきた資料の題名は、内輪向けで抽象的なことが多い。探している人に届けるには、誰が何をどうするのかを示したほうがいい、という指摘がある。中身を変えずに入口の言葉だけを書き換える作業が、本文とは別に発生する。
結果として、内容は充実しているのに手に取られない本ができる。事務所としては本を出したという事実が残るが、集客の道具としては働いていない。何が足りなかったのかも、はっきりしないまま次に進む。改善する手がかりも残らない。読まれなかったのが内容のせいなのか、説明文のせいなのかを切り分ける材料がない。次の1冊でも同じ配分を繰り返すことになる。
終わりの判定ができないことも、極端な結果を生む。本文なら書き切れば終わる。説明文には完成の基準がない。もっとよく書ける気がして、いつまでも手が離せない。あるいは逆に、早々に諦めて数行で済ませる。どちらに転ぶかは、その日の残り時間で決まる。中身の判断ではない。
効果を確かめる方法もない。書き直したあとで読まれるようになったのか、たまたま時期がよかったのかを切り分けられない。数字が動いても、原因の内訳は残らない。だから、次にどう書けばいいかの知見がたまらない。1冊目と5冊目で、同じ迷い方をすることになる。
扱う対象の多さも効いてくる。原稿のほかに、表紙画像、商品説明、入稿用のファイル。段階ごとに管理する対象が並ぶ。説明文は、その中の一項目として最後に置かれている。重要度と、置かれている位置が合っていない。
配分の問題として見ると、直しどころははっきりしている。読まれるかどうかを決める部分に、いまはほとんど時間が使われていない。本文に何週間もかけて、数行に30分。この比率を先に決めておくかどうかの話になる。
今日できることもひとつ。自分の専門分野の本を1冊開いて、商品ページの説明文だけを読んでみる。どこで読む気になったかが分かれば、自分の本のときの基準になる。最後まで読まずに閉じたなら、その理由も手がかりになる。長すぎたのか、誰向けか分からなかったのか。
出版ラクダではどうなるか
出版ラクダは、原稿を入れるだけで目次・本文整形・表紙・挿絵・販売文を生成し、EPUB/Kindle入稿用EPUB/PDFまで書き出す、買い切り型のKindle出版支援Webサービスです。本の中身に時間をかけるほど、商品ページの説明文は後回しになりがちです。出版ラクダは原稿の生成と同じ工程内で販売文を1本・3本・10本のいずれかの枠で生成できるので、説明文づくりを最後に慌てて数行書く作業として切り離さずに済みます。